後藤仁のスロー・クルージング
軍事関係図書(洋書中心。自腹で購入!)の書評と日々の雑感
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多彩な設計局?ヤコブレフのYak-24 その1
このところ相撲の八百長が問題となっている。オヤジから言わせれば、これは大半の人がそう思っているだろうが、八百長が無いと考えるほうがおかしいのだ。放駒理事長が堂々とこれまでは無かったと公言しているが、あれを正しく言うならばこれまでは運良くばれずに、うまくもみ消してきたとすべきだろう。

これを機会に体質をすべて改めて健全な形、というのもなんだかかなりおかしいが、にするか、開き直ってプロレスと同じショー・スポーツだとしてもよい。元々日本には国技として定められたものは存在していないのだから、いっそのこと廃止してしまってもいいぞ、オヤジとしては。

さて今回は、ヤコブレフ設計局が1950年代に実用化した双発中型ヘリコプターYak-24を解説したい。一部に例外も見られるが、普通ソ連・ロシアの設計局は同じジャンルの機種、例えばMiGやスホーイでは戦闘機、ツポレフは爆撃機、アントノフは輸送機と住み分けが一般的だ。

しかしヤコブレフ設計局の場合は多彩というか、節操がないというか、様々な機種を開発しているのが特徴だ。戦闘機は無論のこと軽飛行機や民間ジェット旅客機、はたまたヘリコプターと様々な機種に食指を伸ばしており、最近では無人偵察機(UAV)も積極的に手がけている。

今回解説するYak-24ヘリコプターは、1946年より開発に着手した2重反転式ローターを備えた試験機EGと、単ローター式Yak-100の経験を基に1951年より開発に入った機体で、その外観からわかるようにアメリカのパイアセッキ(後にヴァートルと改称)H-21を意識していたようだ。

ただしサイズ、搭載量はH-21を大きく凌駕しており、当時西側最大のヘリコプターであったシコルスキーH-37をも上回る大型ヘリコプターであった。その開発の発端となったのは、1951年9月クラッシュプログラムの名の下に機内搭載量1,200kgと、その倍の吊り下げ重量を備えるヘリコプターの機種に関する開発を求められたことから始まった。

最終的にヤコブレフ設計局がまとめた機体案Yak-24は、シュベツォフASh-82V 14気筒星型エンジン(1,700hp)を前後に配し、これで直径21mの4翅ローターを駆動するというもので、このエンジンはミル設計局の手になるMi-4と同じであったため、カップルドMi-4と呼ばれたこともあったという。

胴体はキャビン容積の拡大を図って角形にまとめられ、後部に設けられたパイロンには45度という大きな上半角を備えるフィンが支柱を介して取り付けられていた。胴体の構造は鋼管を溶接して構成され、エンジン収容部を含む胴体前部はジュラルミン製外皮が用いられたが、その後方はドープを染込ませた羽布張りとされた。

ただしエンジンを収めたパイロン部分は、フィンを含めて前部と同様にジュラルミンが用いられている。前後にそれぞれ独立した支柱を設けて車輪を取り付けたが、特筆に価するのは胴体後部にローディングランプ式のドアを備えていたことで、これはアメリカの同級試作ヘリコプターYH-16に先立つものである。

キャビンの収容有効サイズは9.37×1.95×1.92mで、左右にベンチシートを設けて兵員19名もしくは看護師2名と担架12床(これは最大18床まで増やすことが可能)、貨物の場合は2t以上を収容できるが、状況により3tまで収めることも可能だった。

最前部のコクピットは前面から側面にかけてガラス張りとされた視界のよいもので、左右に正副操縦手を配し、その後方のスペースには銃手を兼ねる機関士が位置して、必要に応じ左右のNUV-3機銃架に12.7mm機銃TKB-481を装着し、地上目標に対する支援射撃をおこなうこともできた。(以下次回)

e.jpg

Yak-24の先行生産機。全体的にバランスが取れたスタイルにまとめられており、試作機と先行生産機の特徴である大きな上半角が与えられたフィンがよくわかる
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テーマ:軍事と兵器 - ジャンル:趣味・実用

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